ガラリと内容を変えて…というか、いつもマイナーなネタばかりですか、本日はおそらく更にマイナーの中のマイナー『戦前の相続法』はどうだったのか?という内容で書いてみたいと思います。
この手の話は一般には触れられることはあまりないのですが、司法書士さんとかですと、曾祖父さん名義の登記の土地をいまさら誰かのものにしたい…などという依頼を受けた場合などにはよく出てくる話なのです。
私は司法書士ではないので、かる~く触りだけですが、カキコさせていただき、そうですね、皆様が『横溝正史』などの小説を読んだ際に、人間(親族)関係を理解する上で「あ~こういうことだったのか( *`ω´)」と納得していただけたらなぁ…と、まあそんな程度の内容です(意味不明)。
【いまの相続法との違い】
現在の相続法と違い、戦前の相続法は『家を守る』ことに主眼が置かれていました。横溝正史風で言えば「(本陣)一柳」や「本鬼頭(本家)・分鬼頭(分家)」といった感じで、とにかく家として代々後世に繋いでいかなければならない、という前提のものでした。
戦前の相続法は現代でトラブルのもとになっている財産的な『遺産相続』の他に、『家督相続』という概念が在り、この二本柱で構成されていました。
よく高齢の方とお話すると「昔は長男が財産をすべて引き継いだんだよなぁ~」と仰られる方もいますが、実は戦前の遺産相続の規定では、
となっており、必ずしも財産を長男がすべて引き継ぐわけではありませんでした。
しかしながら、
などから、財産を長男に相続させることが都合が良かったのです。
ちなみに、第一順位のみ数人の相続人がいる場合、各相続分は同等で、代襲相続無制限となっていました。
実は意外なことに遺留分の規定も戦前から在りました。ただこれは現在の「個人的な権利」というよりは『家』を残すために、財産を赤の他人に渡さないようにするものという意味合いが強いものでした。
そして今はなき法律上の「禁治産」という表現も、財産が『家』から出て、他人に渡ることがないように「家督として財産を治められない人」といういわば『排除』の意味合いで規定がされていたのです。
閑話休題。
遺産相続の順位のなかで、皆様が気になるのが、恐らく第四順位にある「戸主」だと思います。気になってもらわないと話が進まないので、ここでは気になっていることにしますが、この戸主の概念がいわゆる「家督相続」の規定なのです。
「戸主って長男かその兄弟だけじゃないの???」
実は、この戸主は戦前の『家督相続』という意味合いでの相続法で、重要な位置を占めているために、そっとやそっとで『家』がなくならないように*2する規定が複雑に存在していたのです。
戦前の戸籍が『戸主』を筆頭に叔父さんまでが戸籍に載っている理由も、家督相続の概念お延長上にあるのです。
次回の投稿では、その『家督相続』とはなにか…について投稿します。
(つづく)Σ(゚д゚lll)
戦前では『長男』が画像のように病気で倒れても『家』が守れるような色々な規定がありました。